人の話を聴くことの難しさ

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真剣に悩みや問題を語る人の話を聴く時には、テレビやラジオを漫然と聴いている時のように他人事として聴くことはできません。話をきちんと受けとめることを期待される立場に立たされているわけですし、話してくる相手の気持ちを十分理解するためには、聴く側も相当のエネルギーを使わなければなりません。

私たちが人の話、特に大事な話を聴く時に重要となるのは、相手の話を共感的に聴くことです。私たちが人の話を聴いて共感的に理解するためには、まず自分と他人を区別する意識が備わっている必要があります。そして相手の話を聴いて気持ちを適切に理解するためには、相手の感情体験や心の動きを尊重してそのまま感じとり、受けとめることが大切です。

同じドラマや映画を見たとしても、それに大変感動する人とあまり感動しない人がいます。その違いには、その人が持つ人生体験の違いも関係していると言われています。このような人生体験には、その人が実際に体験したことだけでなく、本を読んだり映画を観たりするようなことを通して得る疑似体験も含まれます。小説や映画を見ている時、登場した人物と自分の実際の体験を照らし合わせたり、登場人物の感じていることを想像したり、あたかも自分が登場人物になっているかのような気持ちを抱くことがあります。このように、実体験の他に、自分の現実と非現実の世界を行き来する経験を通して、人の気持ちを想像する能力が身についていくことがあります。そうした経験自体が乏しいと、共感する力があまり発達しないとも考えられています。

さて、話をする人の側の視点に立つと、日常生活の中で誰かに相談をしたいと思う時、相手にこんなふうに聴いてほしいと望むパターンがいくつかあります。まず一つ目。人生の岐路に立った時、あるいは困難な状況に陥った時、自分の選択・判断がこれでいいのだろうかと迷うことがあります。たとえば、進学先の学校選択や、就職先の企業選択に迷っている時などです。このような時、多くの場合は自分の中である程度答えが出ています。そういう結論に進もうかどうか迷っていて自分の判断を誰かに支持してもらいたかったり、あるいは背中を押してもらいたいと思うこともあるかもしれません。テレビやラジオの人生相談では、離婚するべきか否かで迷っているという相談者に対して「今すぐ別れた方がいい」など、ある方向性を持った回答がなされます。このような人生相談は、聴き手の個人的な経験や価値観に基づくアドバイスが中心になります。その場合、聴き手側の実体験や価値観が問われることがありますし、いい加減に聴いていては良いアドバイスもできなくなります。また、相談者によっては自分の問題であるにもかかわらず、自分で結論を出すことが不安で、選択・判断について他人に依存し、その結果の責任すらひきうけない人もいます。このような場合、せっかく親身に相談にのってあげても後で逆に恨みをかうはめになってしまうなんてことにもなりますから、話を聴く側も注意が必要になります。

人が相手にこんなふうに話を聴いてほしいと思う二つ目のパターンは、とにかく話を聴いてほしいと望む場合です。話しながら自分の感情を表出し、時には泣いたり悲しみを表現したりすることで楽になることがあります。話すこと自体がカタルシス効果を生むためです。そんな時にはじっくりと話を聴いてあげることが大事かもしれません。こういう場合、聴き手が、相手の話の要点がつかめないからといってイライラしたり結論をせっついたり、話を中断させたりすると、話し手はがっかりしてしまったり、もうこの人には相談したくないと思うかもしれません。もし身近な人がこのような状態で相談を持ちかけてくる時には、自分のできる範囲でじっくり話を聴いてあげたいものです。

相談ごとを聴いた時、これは相談者自身が自分で考え選択しなければいけないようなことではないかと思う場合もあるでしょう。そういう時、聴き手はおそらく「私の意見はこれこれこういうものなんだけど、最終的にはあなたが自分で考えて決めなさいよ」と言うかもしれないですね。しかし相談者の中には、大勢の人から意見を聞きだし、様々な参考となる考え方を既に手に入れてきているという人もいます。それなのに、それでも決められない場合があります。カウンセリングの場合には、一般的に、カウンセラーは相談者との話し合いを重ねながら、相談者が自分を見つめたり、自分の気持ちを整理したり、自己決定していく過程を側面から援助していきます。そしてこのような相談の進め方においても共感的に理解するということがとても重要になります。

しかし私たちはともすると相手の話をじっくり聴かず、相手のこころのあり方を尊重しないで表面的に片付けようとしがちです。例えば、相手の状況は自分の実体験とはずいぶんかけ離れているのに、話をよく聴かずに先入観から意見を言ってしまったりすることはよくあることです。また、ひどいいじめにあって精神的に追い詰められている状況の子どもに向かって「いじめる方が悪いのだから堂々と登校して、いじめるそっちが悪いと言ってやればいいのだ」と、今のその子には難しく、役にたちそうにもないアドバイスをしてしまったりすることもあります。自分と相手は違う人間であり、自分には簡単にできる解決方法であっても、相談者にはできないこともあります。人の話を共感的に聴くことは、言うはやすく、実行の難しいことですが、私たちが共感する力を育み互いに支え合うことは大切であると思います。

(一粒の麦 No.51 2015年3月)

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2019年04月04日