Top Page>>コラム>>こころの平和について
心穏やかに、楽しく日々を過ごしていきたいというのは誰しもが望むことでしょう。それは、心理的に平和な状態と言えるかもしれません。私たちが自分の生きてきた過去をたどっていくと、小さく幼い時期は、知識も経験も乏しい状態ですが、あまり葛藤や苦しみもなく、やらなければいけない事に追われることもなかったと思います。「あの頃の自分はとても幸せだったな」と振り返られる方も多いのではないでしょうか。もちろん一概に言えませんが、年齢が上がってくるにつれて多くの事に悩み始め、葛藤し、心労が増える場合が多いように思います。今現在が心穏やかな時期にあるという人もいれば、過去にそういう時期があったけれども今はとても苦悩しているという人もおり、人生を通して見てみると、私たちのこころは最初から最後まで永遠に穏やかで平和な状態にあるということはないことがわかります。
私たちは、年を重ね知識や経験が増えていくのと同様に、こころの面でも成長を遂げていくと考えられています。心理学では、人が人生を送っていく過程のところどころで節目となる時期に出会うと考えます。この節目は、例えば乳児が幼児になっていく時期にも、幼児が児童年代に移っていく時期にもあります。あるいは子どもから大人に変わっていく時期、すなわち思春期、青年期にも節目があります。成人となった後にも、節目はあります。幼児期からあまりに分別が良過ぎてききわけがよく、まるで大人のように生きてしまうと、「子ども時代に子どもらしく生きる」というこころの発達課題を達成できなくなります。そういう人が次の年代の節目に入る時、様々なつまづきを経験することがあります。人生の節目となる時期には、心理的な危機に出会いやすいとも言われています。この節目をうまく乗り越えていけるのか、うまく乗り越えられずに様々な心理的問題や苦悩を経験することになるのか、その分岐点に立っているような事態なので、実は結構難しい時期なのです。それまで特に大きな悩みも苦しみもなく平穏に過ごしていた人でも、当面した節目をうまく乗り越えることができずに、こころの平和が崩れてしまう場合があります。
子どもから大人へと移行していく時期、すなわち思春期にさしかかる頃から、こころの中が複雑化していきます。そして、内面に葛藤を抱えやすくなります。こういう私でありたいという理想と、実際に自身の中に生じる感情や欲求などとの間にズレが生じ、そこから葛藤、苦悩が生じる場合も出てきます。自分自身の中に湧き起こる妬みのこころ、恨みのこころ、怒りなどについて、それが醜い悪であると考え、それらを経験したとしても無視して存在しないことにしてしまう人がいます。しかし、実際にはそうした感情は存在し経験しているわけですから、いくら切り捨てたつもりでもこころの奥深くに消化されないままずっと残り生き続けることになります。無視され続けた感情や欲求はいつしか形を変えて、内部から逆襲してくることもあります。それは、胃の痛み、頭痛、不眠などのように姿を変えて出てくることがあります。その場合、そうした体の症状を治すことも大事ですが、こころの平和と引きかえに犠牲となり葬り去られたその人のこころの一部に焦点を当て取り組んでいかないといけない時もあります。その際、もしかすると見せかけのこころの平和は一度崩れるかもしれません。しかし、これに取り組むことによって、本当の平和、こころの成長を手に入れられるかもしれません。人生の節目の危機は誰にもあるわけですし、死ぬまでずっとこころが同じ状態にあるわけにもいかないため、こころの危機や苦しみを見ないふりして生きていくことは難しいことのようです。
また、こころの平和について家族単位で見てみるとどうでしょう。一見して平和な家族のあり方が実は深刻な問題を秘めている場合もあります。何不自由なく生活している平和な家族は、周囲からもうらやましがられ理想の家族と見られたりします。しかし、一見平和に見える家族の中には、実は平和を保つために何かが犠牲にされているという場合があります。例えば、その家庭の子どもが万引きを繰り返すという事例に出会うことがあります。実は、両親が不仲であり、両親はそれを子どもには見せないように装っているつもりなのですが、子どもは親たちの関係の異変に敏感です。何かがおかしいと察知した子どもは漠然とした不安を募らせ、それが問題行動となって出てくる場合があります。どんな家庭であっても家族成員の間で時々衝突したり波風が立つものです。それが全くなく、喧嘩すらしたことがないという家族は平和なようで、何か不自然さもあります。
また、私たちは日常生活を続けている過程において、どうすることもできないつらく不幸な出来事に遭遇して、突如こころの平和が崩れるということも起こり得ます。事件に巻き込まれたり、病気をしたり、災害にあったり、身近な人が亡くなったり。このような突発的な事態は、普段精神的に健康な人であっても、こころの危機となります。私たちが、そこで受けた深いこころの傷つきから立ち直っていくためには、ある程度の時間も必要です。その苦しみを相談できる身近な誰かの存在も大きな意味を持ちます。そして自身がその苦悩をどうおさめていくのか、その人自身の内面との対話力も重要となります。同じ境遇の人たちとの交流を通して立ち直ったり、宗教などをこころの支えにすることでこころに平和を見出していく人もいます。私たちのこころは海とも似ています。平和で穏やかな凪の日ばかりではなく、時に嵐で大波が来るかもしれません。それでも、どんな波も受けとめ人生を豊かに生きられたらいいなと思います。
(一粒の麦 No.41 2010年3月)
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