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はじめに
今回はアダルトチルドレンについてお話します。心理カウンセラーなどのこころの専門家ではなく、カウンセリングをお考えの相談者の皆様に読んで頂くことを想定して書きました。
親に振り回されてばかりで自分の人生を生きているような感じがしない、誰かと交際してもいつもうまくいかない、いま付き合っている彼とは別れた方がよいと頭では分かっているのに別れることができない、こんなことしちゃいけないと思うのに行きずりの人と一晩かぎりの関係を頻繁に結んでしまう、自分は恋愛依存症に違いない、いつも一人ぽっち、こうしたことを感じている方は是非お読みください。では、目次は以下のようになっています。
もくじ
日本におけるアダルトチルドレンの歴史
アダルトチルドレンとは
傷ついたインナーチャイルドの癒し
回復するとどのように変化するのか
ACはアメリカ発の概念なのですが、まず日本に導入されてからの小史を描き出します。それから、アダルトチルドレンの特徴、そのセラピーと続きます。最後は、回復像を描き出します。少し長めの記事になりました。最後まで読むと10分くらいかかるかもしれません。お時間のあるときにゆっくりお読みください。
日本におけるアダルトチルドレンの歴史
アダルトチルドレンという言葉は、誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。いまは令和元年(2019年)ですが、おそらく40代から50代の方々は精神科医の「斎藤学」氏の名前とともに記憶しているに違いありません。アダルトチルドレン(AC)は、日本では1990年代に若者を中心として広がり、大変なブームになりました。
もちろん、このようなムーブメントに対する攻撃といいますか、アダルトチルドレン論に対するバッシングが起こったことも事実で、「なんでもかんでも親のせいにするな!」「甘えてるんじゃない!」など、この概念を誤解した人たちからの批判の声がとても強くなった時期がありました。
ミレニアムの頃を境にして、アダルトチルドレンという言葉は次第に使われなくなっていったような気がします。AC概念はもともとアルコール依存症の親や家族の文脈の中で発展してきたのですが、アディクション(嗜癖)よりもトラウマ(心的外傷)の文脈の中に位置づけられるようになり、トラウマ・サバイバーあるいは端的にサバイバーという呼び名がとってかわるようになりました。
しかし、アダルトチルドレンという概念は日本において消滅したわけではなく、むしろ定着したと表現するのがよいのかもしれません。庶民のあいだにいまもなお脈々と受け継がれていて、最近では「毒親(どくおや)」や、感受性の強すぎるハイリー・センシティブ・パーソン(Highly sensitive person, HSP)との関連で再び注目されているように思います。
アダルトチルドレンとは
アダルトチルドレンとは、機能不全家族の中で育つことによって傷つき、大人になってからも心の傷を癒せないまま生きている人たちのことです。悩み苦しみの中で生きにくさ・生きづらさを抱えており、ときに死にたいと思いながらも、なんとか死なないで生きている人たちが少なくないように思います。
機能不全家族とは、機能不全というあまり評判のよくない言葉が含まれているのですが、本来的にあってしかるべき機能がシステムの中で不十分にしか働かないような家族、機能不全を起こしている家族のことを言います。具体的には、そのような家族は子供の健やかな成長のために必要な愛情に乏しく、親によって保護されているという安心感、自由な時間と空間、心の安全基地などが、子どもに与えられないことになります。
機能不全家族の中で多くの子どもは何も感じないようになり、何も口にしないようになり、そのままでは壊れてしまいそうな家族システムをなんとか維持しようとします。アンテナを張り巡らして警戒し、親の機嫌を損ねないようにし、不安定な親を安定させるように行動し、自分を支配する親のためにすべてを捧げなければなりません。
このような家族はとても緊張が高く、子どもにとっては気の休まるときがありません。息のつまる家族。精神的な暴力、身体的な虐待、性的虐待、ネグレクト、両親の絶え間ない争い、親のアルコール問題、愛のない凍てついた雰囲気、溺愛、過干渉、その他さまざまなことがあり、そこで生きなければならない子供は色々な役割を担わされて成長していくことになります。
家族の中で子どもが担わされる役割には、たとえば次のようなものがあります。まだ子供であるにもかかわらず、嘆き悲しんだり、愚痴をこぼしたりする親の話をまるでカウンセラーのようにして聞き、慰めねばならない役割、これはプラケーターといいます。親に代わって家事などを一手に引き受けたり、家族の世話役に回ってもっぱら支える側にならねばならない役割、これはイネイブラーといいます。
子どもの頃にイネイブラーであった人は、おそらく大人になってからもその役割を演じ続けるはずです。それが典型的に認められるのは、アルコール依存症の夫を支える妻であると言われています。イネイブラーである妻は、夫のアルコール嗜癖による被害者であると同時に、夫の世話を焼くことで彼のアディクションをよりいっそう促進してしまう協力者でもあると理解されることになります。
このような嗜癖患者とその配偶者の関係性の質的側面のことを、共依存と呼ぶことがあります。共依存という概念は、フェミニズムの立場からバッシングされた経緯があります。というのは、アルコール嗜癖の夫をさらにダメにするのがあたかも妻であるかのような、女性を悪者にするニュアンスを含んでいたからです。
機能不全家族で育ったアダルトチルドレンは、大人になってから、家族の中で担わざるを得なかった役割を再演してしまうようなパートナーを、知らないうちに、まさに無意識的に選択してしまうことが非常に多く認められます。女性の場合、アルコールやギャンブルの嗜癖がある男性、ワーカホリック(仕事中毒)の男性、DV(ドメスティック・バイオレンス)問題のあるバタラーの男性などと交際してしまい、しだいに歪んだ関係への嗜癖状態に陥ってしまいます。そうなると、二人ともその依存関係から抜け出すことが難しくなってしまうのです。
密着しすぎる息の詰まるような親子関係、疎遠すぎる冷たい親子関係、こうした適度の距離感を欠いた関係性が後のアダルトチルドレンや、共依存を生むのかもしれません。母-娘、母-息子の濃密な真空カプセル、父-娘、母-息子の近親姦、こうしたことは子どもの自立と成長を阻害するだけでしょう。おぼえていますか? マザコンの冬彦さんを(ドラマ『ずっとあなたが好きだった』TBS1992年)。おぼえていますか? 映画『魔の刻』を(岩下志麻・坂上忍主演1985年公開作品)。これは、50代以上の人であればピンとくるはずです。
傷ついたインナーチャイルドの癒し
アダルトチルドレンは精神医学的な診断名ではありません。ですから、それに対する処方薬などないのです。この言葉に意味があるとすれば、「私は自分の人生を生きているのかな? どうしてこんなに苦しいのかな?」という疑問が浮かぶだけで、何の解決策も見いだせなかった方が、この概念を発見して「ああ、そうだったのか。だからこれまで生きづらくて、苦しい思いをしてきたのか」と安堵できる場合であると思います。自分はACなのだと自覚することによって安堵感が与えられ、エンパワーされるときこそ、この概念が生きてくるわけです。
アダルトチルドレンは病気ではありませんが、アダルトチルドレンのためのセラピーとしてまず思い浮かぶのは「インナーチャイルド・セラピー」です。機能不全家族の中で育った人は、心の中のインナーチャイルドが傷ついたままです。傷ついたインナーチャイルドを癒すのがこのセラピーの目的になります。
少し説明が必要でしょう。私たちの心の世界は、成長の過程で少しずつ形を成していきます。父親や母親、その他の人たちと現実世界の中で関わることによって、その人たちと自分自身のペアがイメージとなって心の中に取り込まれていきます。たとえば、とても支配的で自己本位な母親は子どもの心を傷つけてしまうことが少なくないのですが、その支配的な母親のイメージと傷つけられた自分のイメージが結びつき、ペアとなって、支配的なインナーマザーと傷ついたインナーチャイルドが心の中に宿ることになるのです。
私たちの精神世界は、このようにして作られた社会を形成しています。さまざまな人たちと、さまざまな自分が心の中でひしめき合っているのです。自分はダメな人間だといつも自分を責めている人は、もしかすると自分の中のインナーマザーが「お前はダメな人間だ!」と言い続けているからなのかもしれません。大人になって機能不全家族から離れて一人暮らしを始めたとしても、心の中に住みついたインナーマザーがその人を今も支配しているとすれば、幼い頃と変わりのない、自信なく傷ついた自分であり続けることでしょう。だからこそ、インナーチャイルドが癒されることが必要になってくるのです。
そのためのカウンセリングの技法としては、交流分析を応用したインナーチャイルド・セラピーがまず挙げられます。しかし、インナーチャイルドには普通の対話式のカウンセリングによってもアプローチできるでしょうし、箱庭療法や絵画療法などの芸術療法やイメージ療法によってもアプローチすることができるはずです。
傷ついたインナーチャイルドが癒されることに加えて、ACが回復するためには、スピリチュアルな癒しが必要であるとされています。これを日本語にすると「霊的な癒し」になり、幽霊やオカルトの世界ではないかと誤解されてしまうことを恐れます。アルコホリック・アノニマスの12ステップに「ハイヤーパワー」という言葉が出てきますが、これはキリスト教的な神を連想させます。日本人になじみやすいのは、東洋的な「タオ(道)」の思想であるのかもしれません。ちっぽけな自分をはるかに超えた大いなる力、つまり生命や生命力と言い換えてもよいと思うのですが、そのタオに触れることによって癒されるということです。
カウンセリングの世界でエビデンス(科学的根拠)を重視している人は、エビデンスの土俵には乗りにくいこの世界には決して入り込んでこないでしょうし、エビデンスがないからといって否定するはずです。しかし、私たち人間が現実に生きている心の自然は、合理性の枠組ではすくい取れない領域が無限大に広がっているように思います。私たちはみずからの力で生きていることに疑いはありませんが、それ以上に、生命によって生かされているのです。「みずから」以上に「おのずから」の世界に気がつくこと、みずから「生きること」以上に生命によって「生かされていること」に気がつくこと、その気づきがスピリチュアルな癒しを与えてくれるはずです。このような考え方は、フランクルのロゴテラピーやユングの深層心理学では馴染みのあるものです。
アダルトチャイルドの多くは、おそらく何らかのアディクションやPTSDないし類似の症状を抱えているはずです。ひどく苦痛な症状がある場合には、強迫的に何度も繰り返される嗜癖問題や心的外傷後ストレス障害に対する精神医学的な治療が必要になることがあります。そうなると、傷ついたインナーチャイルドの癒しやスピリチュアルな癒しという心理的・社会的・スピリチュアル次元へのアプローチだけではなく、アディクション・アプローチや精神的な症状をターゲットにした治療(薬物療法)も必要になってくるのかもしれません。
また、アダルトチルドレンたちが集う自助グループでの活動も必要になるかもしれません。断酒会やA.A.に倣った、言いっぱなし、聞きっぱなしのグループ・ミーティングです。しかし、アダルトチルドレンの自助グループを札幌で探すとなると、なかなか難しいかもしれません。札幌市内の医療機関のなかでクリニックが主体となって行っているところもあるのかもしれませんが、確かな情報がありません。
もしも、札幌でアダルトチルドレンの自助グループをお探しの方は、斎藤学先生のIFFのウェブサイトにアクセスして検索するのがよいでしょう。「心理カウンセリングのアイエフエフ」でグーグル検索すると出てきます。このサイトの「トップページ」→「コミュニティ」→「自助グループ一覧/検索」にアクセスして、必要事項を打ち込んで検索してください。札幌のアダルトチルドレンの自助グループなどが登録されていますので、参考になると思います。
回復するとどのように変化するのか
アダルトチルドレンには実にさまざまな特徴があります。回復に伴って、その特徴が肯定的に変化することになるでしょう。以下にその一部を列挙してみます。
*親に与えられた人生ではなく、自分の人生を自分で生きられるようになる。
*完全主義が緩和されて「まあいいか」と言えるようになる。
*周囲の期待に合わせて振る舞おうとしなくなる。
*相手に合わせるばかりでNOと言えなかった自分が自己主張できるようになる。
*他者への世話焼きをやめて自分のことが考えられるようになる。
*自分の考えや行動に自信が持てるようになる。
*途中で投げ出すのではなく、最後までやり遂げることができるようになる。
*自分に対して過度に批判的ではなくなる。
*罪悪感なしに物事を楽しむことができるようになる。
*恐れずに他者と親密な関係を持つことができるようになる。
*過度に他人から肯定されよう、受入れられようとしなくなる。
*自分は他の人たちとは違っているという、常にあったアウェイ感が和らぐ。
*衝動的で、刹那的な、リスクの高い行動をとらなくなる。
*選択肢の幅が広がる。
*アディクションにはまっている自分や共依存的関係を自覚することができたり、そこから離れることができるようになる。
*その他
いかがでしょうか。いろいろな文献を参考にしてACの回復像を示してはみたものの、彼ら/彼女らが実際にこの項目を読んだとしたら、一体何を感じ、何を思うのか、とても気がかりです。もしかすると、「自分には不可能かもしれない。日暮れて道遠し……」とガッカリする人もいるのかもしれません。ハードルが高すぎると感じる人がいるかもしれないということです。
しかし、ここに示したのは、セラピー文化の中で常識となっている、右肩上がり・末広がりの理想的な回復像です。回復とは、人によって全然違うものです。現実を生きるアダルトチルドレンの身になると、できることがあったり、できないことがあったりで、すべてが肯定的に変化するとは言えないと思います。それにもかかわらず、以前よりも少し楽になったと感じられたならそれは変化であり、回復が一歩進んだことの証になるはずです。
それから、機能不全という言葉のことですが、十分に機能している家族など現実には稀であって、ほとんどすべての家庭が何らかの機能不全を抱えていると考えるのが自然であると思います。家族だからこそいろいろなことがあって、煩わしいときもあるのです。よい時もあれば悪い時もある、せいぜい「そこそこに」、「ほどよい程度に」機能する家族。その意味で、アダルトチルドレンの家族に機能不全という言葉を使うとすれば「ほどよく機能する家族」に対する「機能不全家族」という位置づけをしておくのがよいような気がしています。そうすれば、言葉の上での誤解は少なくなるように思います。
支配的な親や親のイメージに束縛された人生にNOを突きつけ、自分自身の人生を生き抜いていこうと決意するのは、50代になってからでも、60代になってからでも、いくつになっても遅くはないはずです。ご本人の回復プロセスを少しだけ後押しするのがカウンセラーの役割だと思っていますので、サポートが必要なときはいつでもお声掛けください。
参考文献
斎藤学『インナーマザー ~あなたを責めつづける心の中の「お母さん」~』 (だいわ文庫)
斎藤学『アダルト・チルドレンと家族―心のなかの子どもを癒す』(学陽書房)
信田さよ子『共依存 苦しいけれど、離れられない』 (朝日文庫)
スーザン・フォワード『毒になる親 一生苦しむ子供』 (講談社+α文庫)
クラウディア・ブラック『性嗜癖者のパートナー: 彼女たちの回復過程』(誠信書房)
クラウディア・ブラック『私は親のようにならない―嗜癖問題とその子どもたちへの影響』(誠信書房)
ジョン・ブラッドショー『インナーチャイルド 本当のあなたを取り戻す方法』(NHK出版)
加島祥造『タオ―老子』(ちくま文庫)
ヴィクトール・フランクル『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)
カール・グスタフ・ユング『ユング自伝 1,2―思い出・夢・思想』(みすず書房)
Alcoholics Anonymous World Services 『12のステップと12の伝統』(AA日本ゼネラルサービス)
イルセ・サン『鈍感な世界に生きる 敏感な人たち』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
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