コンプレックス

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みなさんには、苦手だなと思う相手や、嫌いだなと思う人はいるでしょうか。一般的には、多かれ少なかれ苦手な人や嫌いな人がいるのではないかと思います。では、その自分が嫌いだなと思う人はどんな特徴や性質を持つ人でしょうか。

例えば、B子さんの例です。B子さんにはA子さんという友達がいます。A子さんは異性からとても好かれるそうです。しかしB子さんから見て、このA子さんは“ぶりっ子”なのだそうです。傍に男性が来ると、急にA子さんの声がワントーン高くなり、舌ったらずで甘えた声を出し、普段なら自分でできることも「できなーい」と言って男性に甘えて頼むのだそうです。B子さんはいつもそれを見てイライラし、「A子は異性を前にしたとたんかわい子ぶって。本性はいけすかない子。裏表があって大嫌い」と言います。

また別の例です。Z君は、おとなしく、人とあまり交流を持たない方ですが、成績だけはずば抜けていました。一方、クラスメイトのY君は、勉強があまり好きではなく学校の成績はよくありません。しかしY君はスポーツが大好きで部活動ではキャプテンもつとめ、人望の厚い人でした。Z君は、そんなスポーツマンタイプのY君を嫌っており、陰で「筋肉バカ」と言って見下してきました。しかし嫌われているとは知らないY君は、飲み会を企画するといつもZ君を誘ってきます。Z君はその度に理由をつけて丁重に断ってきましたが、内心はいつも不愉快で腹が立っていました。ある時、Y君はスポーツをして遊ぶ催しにZ君を誘ってきました。すると、とうとうZ君は感情の高ぶりを抑えきれなくなり、Y君に対して「行くわけないだろう。スポーツなんてバカのすることだし」と罵倒し、その後、ハッとわれに返り、恥ずかしくなったZ君はその場を急いで逃げ去ってしまいました。

嫌いな相手がいる場合、相手の話をし始めるといつもより饒舌になったり、怒りや憎しみなど強い感情がそれに伴って、過激な発言になったりします。つい感情が高ぶったZ君のように、冷静ではいられなくなったりもします。嫌いな理由が具体的に分かる場合もありますが、時には「何が嫌なのか理由ははっきりとは分からないけど、なんだかあの人が苦手」とか「とにかく虫が好かない」という場合もあるのではないでしょうか。そういう場合は、あまりその人に近づかないようにしたり、隣の席を避けたりするかしもれません。

このように、ある人物、あるいはある特定の出来事に対してだけ強く嫌悪感や反発を抱いてしまうという経験は誰しもあります。実は、これはコンプレックスのなせる業です。コンプレックスと聞くと、たいていは「劣等感」と思う方が多いのではないでしょうか。しかし、心理学でいう「コンプレックス」とは、劣等感のことではありません。コンプレックスとは、こころ中の無意識の世界にあって、ある特定の感情によって結びついているイメージや観念の集まりのことをいいます。

私たちは自分のことはしっかり理解できていると思いがちです。しかし「私」という存在は、意識しているこころの活動だけではありません。意識の世界で動いている「私」があると同時に、無意識の世界では自分の知らない「私」が活動をしています。意識の世界で活動している「私」は、意識にのぼると不都合な考え、感情や欲望などを、無意識の方へ追いやってしまうことがあります。ですから、無意識のこころの世界には意識から追い出されたり、まだ意識にのぼることのないものなどが存在していると言われています。そして、それらの中に、ある種の葛藤や外傷体験などを核として強い感情によって結びつけられているしこりのようなものがあり、それがコンプレックスと呼ばれる存在です。

意識の世界の「私」が自分の無意識の世界にどんなコンプレックスがあるのかを直接知ることはむずかしいのですが、ある状況でその存在を知ることができます。自分のコンプレックスに直接関係するような出来事に遭遇したり、コンプレックスを刺激する人物に出会ったりするような時です。そのような場合、意識の世界の「私」は、嫌悪感や不快感を体験します。「人は鏡」という言葉がありますが、これは非常に適切な言葉で、文字通り人、他者とは自分のこころを映し出す鏡となります。自分の無意識の世界は自分だけでは容易に知ることができません。ぶりっ子しているA子さんが登場することでB子さんは、自分の嫌悪するもの、自分の意識が受け容れ難いものの存在を知ることが出来ます。
人は、コンプレックスが刺激された時、相手を悪者に仕立てたり、相手を避けたりして片付けてしまうことが多いと思います。しかし、それだけではもったいないことをしているのかもしれません。せっかく自分のコンプレックスを刺激してくれた存在です。意識の世界の「私」は、一体何を排除し何を拒んでいるのか。コンプレックスを刺激してくれる存在は、それを見極めるよい鏡になることもあります。

自分の中にあるコンプレックスを知り、解消して行くことは人のこころの成長にも大事なことですが、非常に難しく大変な作業です。自分が毛嫌いしている要素と向き合い、自分の意識の世界にうまく取り入れて行くわけですから簡単にはいきません。ですから、コンプレックスを解消するまでいかなくても、いったい何が自分のコンプレックスなのか、嫌いな相手の特徴はどんなものかに注意を向けてみるだけでも違うかしもれません。相手は自分のこころを映し出している鏡だと思ってその人を見て行くと、世の中がまた違って見えてくるかもしれません。

(一粒の麦 No.47 2013年3月)

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2019年04月08日